アウディを所有するアウトウニオンが作った傑作Pワーゲン
アウディの前輪駆動など先進的な技術を備えるアッパーミドルの自動車車が技術を引っ張ってはいましたが、アウディなどの様々なブランドの魅力をもってしても、アウトウニオンの知名度はすぐにあがることはありませんでした。
スポンサードリンク
1933年に宣伝効果を狙い、翌年のグランプリレースの出場を決意したのです。 アウディ(audi)のロゴを冠した新たな車をアウトウニオンは、元ダイムラー・ベンツの卓越した技術者で、当時フリーランスであったフェルディナント・ポルシェに設計を委嘱し、開発することに決めました。
アウディのブランドの底上げを図るためのこのレースを走るための自動車には膨大な費用が必要であり、そのために、アウトウニオンとポルシェ氏は、当時、首相になったばかりのアドルフ・ヒトラーに後援をお願いしたのです。
そして、アウディ(audi)などの様々な車を所持し、こよなく愛するヒトラーは、45万マルクもの国家的援助をすることに決めたのです。
それが、アウディのブランドのロゴを冠するPワーゲンであり、ポルシェが、今までの概念に囚われることなく、斬新で、先進的なレーシングカーがこのとき生まれました。
そして、アウディ(audi)が世界的に広がることは成功しただけでなく、F1マシンの原点とされており、公開日には、250km/hの世界最高記録を含んだ7つもの世界新記録を打ちたてました。
その後も、たびたびに、改良に改良を重ねて、おびただしいぐらいに戦績を上げました。
1936年にはベルント・ローゼンマイヤーが3つのグランプリで勝利し、ヨーロッパ選手権タイトルを獲得。
さらに同年にはH.シュトゥックがアウトバーンで3つの世界新記録と4つの国際クラスの新記録を樹立した。
1937年にはローゼンマイヤーが2つの世界記録と13の国際クラスの記録を更新し、公道で400Km/hを突破する金字塔を打ちたてました。
スポンサードリンク
